おすすめ NO4.津軽飯詰 高楯城址と寺めぐり・大正ロマンの浄水場を見る

津軽鉄道 津軽飯詰駅より

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 ①高楯城址(あすなろの家)資料館

 ②妙龍寺

 ③法林寺

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④ 長円寺

 ⑤大泉寺

 ⑥浄水場

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 津軽飯詰駅

(津軽五所川原より津軽鉄道にて約8分)

↓ 1.5km(徒歩25分)

①高楯城址

↓ (徒歩5分)

②妙龍寺

↓ (徒歩約15分)

③法林寺

↓ (徒歩約1分)すぐ隣り

④長円寺

↓ (徒歩約1分)すぐ前

⑤大泉寺

↓1.3km (徒歩約20分)

⑥浄水場

↓2.4km (徒歩約35分)

津軽飯詰駅

津軽飯詰駅より2.4km

《情報》

いずみ小学校の東5百メートル、小高い丘を

登ったところに浄水場があります。洋館風のステキな建物があります。まさに大正モダンとも言うべき建造物です。

大正13(1924)年に建設の許可が出て、昭和2(1927)年に竣工と同時に深沢(現在の飯詰ダム)から引いた水を浄水しました。

青森市に続いて県内2例目、五所川原としては初めての水道事業になりました。

 市の人口の増加につれて第1次から第4次まで改変が行われ、取水も現在浅瀬石ダムを加えています。

浄水場を衛生的に管理するために張られている柵の周りは芝生も広く、秋の紅葉もきれいです。 

★お城のような建物は資料館です。実際の高楯城址の場所はそこより奥の方にあり、本丸のの場所には「高楯城址」という石碑があります。

《情報》

「高館城」の城郭構造は平山城です。主郭は、北の糠塚川(ぬかずかがわ)を堀とし、東西に広がる標高58.8mほどの高台にありました。江戸時代の記録にも、「古城二十五間百四十間」(高楯城物語記載の貞永元年絵図)、「一古館 五反七畝歩 三箇所」(陸奥国津軽郡田舎庄飯詰村御検地二冊寄帳)とあります。

歴史>

興国5年1344年、万里小路藤房の息子朝日景房が築城したといわれています(飯詰村史)。本丸、西館、東館、見張り所、抜け穴、三重堀と守りの堅い城で、出城も東西南北に築かれました。

天正16年(1588年)津軽統一をもくろむ大浦為信の攻撃により、秘密の水柵も壊された高楯城に孤立した朝日左衛門尉藤原行庵は運命を悟り、奥方お妙の方と初代城主藤房公の木像をひそかに城外に出し、本丸で生き残った家来と共に城に火をつけ、主従そろって自害しました。そして飯詰城(高楯城)は廃城となりました。

今、高楯城資料館が建てられ、わずかに昔の面影をしのばせています。

住所:青森県五所川原市飯詰福泉29
電話:0173-37-2654
津軽飯詰駅より1.4km

《情報》

本尊 十界曼茶羅 

天正十六年(1588)、津軽為信に滅ぼされた高楯城主朝日左衛門尉藤原行安が法華経の霊神である未法鎮守七面山鎮守堂を創建しました。

三百数十年以上前の寛文年間に高楯城邸内桜田の地に七間四面の精舎を建立し、法布山行正寺と号しましたが、宝永四年(1707)に小泊村(現中泊町小泊)に移転を余儀なくされたりして、波乱万丈の運命をたどった寺だと伝えられています。また、天明四年(1784)、他教徒の権謀術策、迫害ですべてを焼き払われています。そうした経緯を持ちながらも、歴代上人の努力でかろうじて維持され、七面大明神石碑建立、日蓮聖人像安置、報恩碑奉納、寺庭の造成と寺院再興事業は受け継がれました。昭和16年(1941)に飯詰結社と改め、津軽随明師を担任教師とし、22年に工藤随源師を初代住職として寺号公称に至り、高楯山妙龍寺建立しました。

住所:青森県五所川原市飯詰福泉224
電話:0173-37-2658
津軽飯詰駅より1.1km

《情報》

本尊 釈迦牟尼佛(しゃかむにぶつ)

667(寛文7)年、弘前市津軽藩主菩提寺長勝寺十四世、聖眼雲祝大和尚の勧請により開山したお寺です。何回かの火災によって歴史的な物が焼失してしまったため、創建年代は定かでありません。  沈鐘伝説>

むかし、京都から2つの大きな鐘(雄鐘、雌鐘)を積み十三湖経由で岩木川を遡ろうとしたところ、湖上で暴風に遭って船が転覆してしまったそうです。 2つの鐘とも湖中に沈んでしまったのですが、幸い当寺の雄鐘は引き揚げることができました。しかし、長勝寺行きの雌鐘はあらゆる手段で捜しても見つからず、湖底に沈んで所在不明となってしまいました。そして、湖の中にある鐘は十三湖の主になったと伝えられています。当寺の雄鐘を鳴らすと、今でも雌鐘を慕って余韻が「十三恋し十三恋し」と響くそうで・・・湖底の雌鐘もこれに応えて、「長円寺恋し長円寺恋し」となくそうです。

★2014年5月28日発売の長山洋子さんの「恋の津軽十三湖」という曲はこの寺の梵鐘の伝説を歌にしたものです。5月27日には長山さんがヒット祈願にこの寺に訪れました。

住所:青森県五所川原市飯詰福泉226−1
電話:0173-37-2534
津軽飯詰駅より1.1km

《情報》

本尊  阿弥陀仏

明暦元(1655)年創建 村史によると一番古い寺院となっています。

茅屋根の頂上に擬宝珠の有る特徴的な本堂が目印で、境内にはとても

立派なフジ棚があり、フジの咲く季節には参拝者を楽しませてくれています。

 現在は、浄土宗清涼山大泉寺となっていますが、初めは修験集大泉院、次が修験念仏宗大泉寺、浄土宗法明山大泉寺、浄土宗妙法山大泉寺、

そして現在に至っています。二百数十年前に

火事で古い文書を焼いているため詳しいことはわかっていません。

飯詰のほぼ中央にあり、遠く津軽鉄道の

線路から飯詰を見渡すとこのかやぶき

屋根が見え大変目立ちます。

住所:青森県五所川原市飯詰福泉222

電話:0173-37-2536  津軽飯詰駅より1.1km

《情報》

本尊 阿弥陀如来

寛文8(1668?)年創建寛永5(1628)年光井了誓法師

(山城国嵯峨の人)の開創。慶安3(1663)年に本願寺

より法林寺の寺号を拝受。現在に至ります。

お寺の裏に「オオイチョウ」と「オオバボダイジュ」があり、県の古木に登録されています。しかし、現在ではオオバボダイジュの大木はすでに無くなっておりその種がこぼれたであろう子供の木が少しずつ大きくなってきています。また本堂右前にあるイチイの木もかなり古いものです。

境内には飯詰出身の廃人内海草坡の句碑もあります。

 

 

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